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EPISODE 06

愛あるエピソード 建築編

職人さんは大切な同志。
根底にあるのは、リスペクトです。

東京支店|建築部2012年入社

CHAPTER01

CHAPTER01

入社五年目での沖縄赴任。
当初は不安でいっぱいでした。

「ガラス屋を経営する父と同じように、建築に携わる仕事がしたい」
そんな想いで村本建設に入社した2012年以来、建築部にて各現場の施工管理をしてきました。村本建設ではひとつのプロジェクトの担当になると約1年半から2年の間、その現場に常駐するかたちで基本的には着工から完成までを受け持ちます。私も入社以来いくつもの現場を担当させてもらい、一歩ずつ現場での経験を重ねてきました。入社してから5年が経ち、担当していた現場の工事完了が近づいたある日、工場長からこんな言葉をかけられました。
「次は、沖縄に行ってみないか?」

寝耳に水、藪から棒、青天の霹靂。まさに予想外の打診で、真っ先に頭に浮かんだ言葉は、「ちょっと嫌だな……」でした(笑)。というのも、当時の私は生まれ育った関東でしか生活したことがなく、休日に友人たちと会ってリフレッシュすることもできません。沖縄には学生時代の修学旅行で訪れた程度で、縁もゆかりもない地で1年半以上もやっていけるのか、大きな不安を感じたんです。ただ、当時は仕事の上ではもう一皮剥けたいと思っていた時期。見知らぬ土地で現地の職人さんたちと一から関係を築きながら建物をつくり上げていくのは、自分自身の経験にも大きなプラスになると思い、快諾しました。

CHAPTER02

最悪の事態も覚悟した、
台風の夜。

そうしてはじまった沖縄での生活。当初は耳慣れない沖縄の方言や慣習の違いなどに戸惑い、迷惑をかけたこともありました。しかし、職人さんたちは総じて気さくで、東京から来た若者を温かく受け入れてくれ、数か月後にはそのマンション建設現場がとても好きになっていました。職人さんとの思い出で最も印象に残っているのは、ある台風の夜の出来事です。その年は台風の当たり年。いくつもの台風が沖縄本島をかすめるように通り過ぎていました。都内の現場なら台風が発生しても到着までに猶予があるので、落ち着いて対処することができます。しかし沖縄の場合は、早ければ発生した翌日にはやってきます。現地の職人さんたちは経験豊富とはいえ、はじめての私にとっては緊張の連続でした。

その夜は、特に大型の台風が沖縄本島に上陸する予報。考え得るすべての対策を講じたうえで、所長とふたり、万が一に備えて事務所待機をしていました。時間を追うごとに強まる風と雨。事務所の窓ガラスも大きな音を立てて揺れています。私と所長は「無事に通り過ぎてくれ」と祈るような思いで、何度も工事中の建物の様子を見に行っていました。そして日付が変わろうかとしていた頃、いよいよ暴風は足場を養生していたシートを大きく捲りあげてしまいました。しかも、8〜10階の上層階部分。おいそれと手を出せる場所ではありません。しかしこのままにしておけば、被害が大きくなって、最悪の場合は足場が倒壊してしまう可能性もあります。私たちは頭を抱えていました。

CHAPTER03

いつでも帰っておいで。
その言葉が私の誇りです

「職人さんに連絡してみよう」
所長からの指示で、私は深夜にも関わらず職人さんに電話をかけました。連絡がつかなくても仕方がない、そう思ってはいましたが、すぐに連絡がつき、現場に駆けつけてくれることに。ほどなくしてやってきたその職人さんは嫌な素振りを一つも見せず、暴風雨の中で足場から見事な手捌きで養生シートを元通りにしてくれました。沖縄という土地柄、こうした事態に慣れていたのかもしれませんが、そのプロ意識と技術の高さに、本当に感動したことをよく覚えています。翌日からは、沖縄らしい青い空。それ以降大きな台風に見舞われることなく、半年後に無事完成させることができました。

不安な気持ちを抑えて慣れない土地に飛び込んでよかった、本当にそう思います。ゼネコンの仕事の中で、職人さんは、ともに一つの建物をつくり上げていく同志です。彼らにとっても、現場は自分のもの。雨が降ったら一緒に濡れて、共に苦労することは、特別なことでもなんでもない。だからこそ、互いに敬意と信頼は欠かせませんし、そのためには日頃のコミュニケーションも大切です。そうした思いは以前から持っていましたが、より一層強く意識するようになった沖縄の地。東京へと戻ることになった私に対し、「五十嵐さんと一緒に仕事ができて良かった。いつでも帰っておいで。」と言ってもらえたことは、今でも大きな自信と誇りになっています。

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